前回の「子宮頸がんの疑いがあります」の衝撃を受けたあと、
検査の結果を受けて「円錐切除術」という手術を受けることになりました。
今回は、その手術のこと、そして手術後に伝えられた診断のお話です。
大学病院での入院
診断を受けてから9日後。
私は、円錐切除術の前日から通っていた大学病院に入院していました。
いつもの通学経路で病院に入院——なんだか不思議な気分です。
正直、この病院での入院が決まった時から、知り合いに会うんじゃないかという「いや〜な気持ち」、気まずさを感じていたのを覚えています。
でも、良いこともありました!
当時所属していた大学サークルの仲間たちが、何人もお見舞いに来てくれたのです。
「超短期入院だから、別にいいのに!」と思いつつも、心配してくれる仲間の存在が嬉しかったです。
すっぴんに眼鏡、入院着姿でしたが、個室入院だったこともあり、たくさん写真や動画を撮りました。
今でもスマホの写真フォルダを見ると、懐かしくて温かい気持ちになり、目頭が熱くなります。
子宮頸部円錐切除術
手術当日。
詳しくは覚えていませんが、歩いて手術室に向かった記憶があります。
そのとき私は痛みもかゆみもなく、元気そのものでした。
短時間の手術を終え、経過も良く、翌日には退院。
術後の痛みもほとんどなく、すぐに日常生活に戻ることができました。
ただ、術後しばらく人によっては少量の出血や痛みを伴う場合もあるようです。
腹圧をかけるような(重いものを持ち上げるような)仕事の場合は、少しお休みを入れたほうが良いかもしれません。
気持ち的には疲れが残っていたものの、
「今の私にできることはない」と思い、できるだけ楽しい気持ちで過ごそうと心がけました。
その後の2か月間で、両親と沖縄や福井へ旅行に行きました。
沖縄そばも、蟹も、とっても美味しかったです♡
明るく振る舞っていても、「がん」と言われると人生の終わりを想像してしまうものです。
もし治らなかったら、もし今後できる治療がなかったら——。
そんな思いが頭をよぎるたび、「後悔しないように過ごそう」と自分に言い聞かせていました。
子宮頸部円錐切除の検査結果
手術から2週間後。
母と一緒に大学病院で、結果を聞く日がやってきました。
「子宮頸がんⅠb1期です。骨盤リンパ節郭清を含めた広汎子宮全摘術が適応となります。」
子宮、全部取らなきゃいけないんだ。
不思議なものですね。
子どもが欲しい、羨ましい、なんて思ったことはなかったのに、
いざ「産めなくなる」と思うと、心にぽっかり穴が空いたような喪失感がありました。
そんな中、さらに驚く話を聞くことになります。
「こはるさん、まだ20代ですよね。うちではできないんですが、
子宮を残す手術ができる病院もあります。
広汎子宮頸部摘出術(トラケレクトミー)を行うことで、
妊孕性(妊娠する力)を温存することができます。」
「え?!残すこともできるの?!」
藁にもすがる思いで、「なんでもいいからやってみよう!」という気持ちで二つ返事をしました。
そして、病院を紹介してもらうことに。
他の病院の紹介
2020年当時、有名だったのは東京都・鹿児島県・岡山県の病院。
「せっかくなら行ったことがない場所で、自然があるところがいい」と思い、岡山県の病院を選びました。
自分の病院でできることだけでなく、当時はまだ珍しかった「妊孕性を残せる手術」という選択肢を提示してくれた医師には、今でも感謝しています。
また、「現段階であれば、がん化した部分を取り除けば、全摘と同等の効果が期待できる」と説明してもらえたことで、一筋の希望が見えたのも事実です。
実家へ帰る母を駅のホームで笑顔で見送ったあと、涙が止まらなくなりました。
不安な気持ちを見せたくない、困らせたくないと張っていた糸が、ぷつりと切れた瞬間でした。
なるようになる、やるしかないと思っていても、不安なものは不安なのです。
手術を終えて少し安心したのも束の間、
「子宮を全て摘出するか、残すか」という新しい選択を迫られました。
次回予告
次回は、岡山県の病院での診察や、
広汎子宮頸部摘出術(トラケレクトミー)について書きたいと思います。
